チャパエフスク (Chapayevsk)
1927年まではイヴァシチェンコヴォ(Ivashchenkovo)、1927年から1929年まではトロツク(Trotsk)と称した.
この町の歴史は20世紀初頭の1909年に、ロシア軍がこの周辺に爆薬工場を作ったときにさかのぼる. 2年後に化学兵器製造を主な目的とした化学工場も開業した. これ以来、この町の名前はロシアの化学兵器製造と切っても切れない関係を持つことになった. 第一次世界大戦時には工場は拡張し、新工場も建設されたため、イヴァシチェンコヴォ労働者集落が誕生した. 化学工場は赤軍の化学兵器のみならず、ヴェルサイユ条約で軍備を制限されたドイツ軍の化学兵器の開発・製造・試験も行った. 1927年、集落は市の地位を得て、レフ・トロツキーを称えてトロツクという名に変わった. しかしわずか2年後、1929年には、ロシア内戦時の赤軍司令官の一人、ヴァシーリー・チャパエフの死後10周年を記念してチャパエフスクに変わった.